津幡町テニス協会

2018/09/15掲載

津幡町テニス協会創立40周年記念行事 1

斎藤貴史プロによる
テニスエキシビション

斉藤貴史プロのエキジビションマッチ

 ジュニア教室の生徒たちがコートサイドに集まり始めた。2番コートの両脇に椅子が並べられる。ジュニアたちの遠慮がちでありながら華やいだ気持ちが伝わってくる。プロテニスプレーヤーと初めて会うということ。これは,子どもたちにとって長く心に残る一瞬となるに違いない。そのようは雰囲気の中で,斉藤貴史選手がみんなの前に姿を現した。
 斉藤貴史君は津幡町テニス協会のジュニア教室で育ち,ジュニア時代の輝かしい戦績を経て,石川県初のプロテニスプレーヤーになった逸材である。そして,そのフットワークもプレイスタイルも肉体的・精神的な強靱さも,すべてコーチであり母である斉藤美穂さんと貴史プロ本人の,たゆみない努力の賜である。さらには,これまで支えてくれた方々への感謝の気持ちを持ち続けてきたことも,斉藤プロをここまで育ててきた大きな要因かもしれない。そして今日の対戦相手は,柳川高校,明治大学で腕を磨いてきた実兄の斉藤裕史選手である。貴史選手はプロとして恥ずかしいゲームはできない。裕史選手は金沢インドア(KIT)の教え子たちの前で,コーチとしての意地を見せたい。そうした意識が高まる中,審判台の上から斉藤美穂さんの凛とした声が響く:The best of one set match,Takashi to serve. Play!

 期待通りの,いや,予想以上の熱戦となった。素人の観戦子にはどちらの力が勝っているのかは判然としない。しかし,裕史の渾身のボールに微動だにしない貴史プロがそこにいた。

 Game set and match, won by Takashi, 6 games to 1!
 スコアは開いたが,互いに持てる力を存分に発揮したという実感があったのだろう。そして斉藤美穂さんは「二人とも私の自慢の息子です」と続けた。そのときの気持ちを聞いてみた。「貴史はプロとして独りで生きていけるようになり,裕史は金沢インドアでコーチの職に就きました。そうして,私はいま一人の母になりました」。家でテニスの話をすることも少なくなったという。重責を果たしてきた斉藤さんが,立派に成長した二人の息子を前にして然にでた言葉だった。対戦を終えた兄の斉藤裕史選手は「やはりヨーロッパを転戦してしっかりとした力をつけてきたと感じた」という。現在,日本ランキング21位,ATP589位。。世界への壁はまだ果てしなく厚い。怪我に泣かされて来た斉藤貴史選手にとっては,その壁に全力で挑戦できること自体が何よりも楽しいのだと思う。
 世界に羽ばたけ,斉藤貴史!

斉藤貴史プロにダブルスで挑戦コーナー

 続いて,斉藤プロが久保結希凪さん(津幡ジュニア,中三)と組んで一般選手のダブルスの挑戦を受けるコーナー。これは行列ができる大盛況。「とにかくプロのサーブを実感したかった」という女性には鮮やかなサービスエースで文字通りのサービス。「見ているときには何とか受けられると思っていたサーブでしたが,実際にコートに立ったらボールが落ちる地点が見えないほどでした。いやあ,プロはすごいですね」と語る男性プレイヤーもいた。それでも相手に応じて優しくつないだり,ときおりドロップショットを見せるなど,観客の相手を楽しませる術も身につけているようだ。「すごい存在感でした。大きな壁みたいで,立っているだけですごいプレッシャーでした」と話すのは今年の県体で活躍した中農泰晟君。同じく一般女子で見事3勝を挙げた北村梨乃さん「でも本気じゃなかったし。どれだけやられても,一度は本気でテニスしたかったです」。いまは大阪教育大でスポーツか科学を専攻しているので,いずれスポーツ関係の外資系の会社で働きたいと抱負を述べた。また,富山で看護士をしている村田優里さん「貴史が中学校に上がったとき私は高校の部活をしていたから,同じコートに立つことはあまりなかったんです。高校時代に,もっとたくさん打ってもらっておけばよかった。それはもう,友達にはめっちゃ自慢しますよ!」。

 斉藤貴史プロを招いての企画。これは予想以上に楽しいものになった。それはコートの両脇で真剣にプレーを見つめる眼が,それを証明している。この企画を担当し副会長の中山博文さんは「晴れてよかった。今日はジュニアがポイントでしたね。プロと触れ合うのは,参加してくれた誰でもが衝撃を受けるんじゃないでしょうか。みんなが楽しんでいるのが伝わってくるのが何よりも嬉しいですね」という。
 この言葉は,そこにいた全員に共通する思いなのだろう。40周年のテーマを「三世代交流」と定め,ジュニアとシニアを繫ぐ中心人物として斉藤プロを招聘し,エキシビションマッチと交流会をしようという試みは大成功だったといいたい。ジュニアを集めて,これを主役にしたこともポイントだった。ジュニアたちの喜びが保護者に伝わり,ここに参加してくれたみなさんの心を動かし,いつしか,会場全体が,そして三世代すべてが楽しい気持ちに包まれていったのだ。

津幡ジュニアの歩み

 その斉藤貴史君を育てたのは津幡ジュニア教室であり,専属コーチである斉藤美穂さんである。そして,津幡にジュニア教室を作ったのは,石川高専教授であった問谷武洋さんと津幡町テニス協会会長であった前田猛夫さんである。その志半ばにして,事故により亡くなった問谷さんの遺志を継ぐ形で,前田さん,吉本さん,舟橋さんらがこれを支え,その後,斉藤さん,玄田さん,本吉さんたち,テニス協会の有志のみなさんが,津幡ジュニアをプロを輩出するまでに育てたのである。その後も,津幡ジュニアには新たなコーチも加わり,毎年70名あまりのジュニアの指導を続け,毎年,石川県大会,北信越大会さらに全国大会へと選手を送り出している,
 この日,問谷さんの奥様の問谷元子さんが,花束をもって激励に駆けつけてくれた。「もちろんよく存じ上げています。最初にジュニア指導を手がけた方ですよね」と貴史君は感慨深げにそう述べた。

 斉藤貴史プロは試合前の練習で相手をしたジュニアの選手について「もっと元気を出して欲しいな」と感想を述べた。少年の頃の斉藤貴史君がプロテニスプレイヤーと同じコートに立つ機会があったとすれば,それが練習であろうとも,エースを取られたら涙ぐんで悔しがったのではないか。いまのジュニアにもそういうファイトが欲しい。貴史君はそう感じたのではないかと思う。