津幡町テニス協会

2018/09/15再掲載

津幡町テニス協会創立40周年記念行事 2

記念式典

津幡町テニス協会創立40周年記念祝賀会

 今回の記念祝賀会には矢田津幡町長,塩谷津幡体育協会会長,吉田石川県テニス協会理事長をお迎えして行われた。まず司会の津幡町テニス協会中農理事長の開会宣言,そして会長の挨拶が始まる。やや緊張した雰囲気の中,津幡町テニス協会創立40周年記念式典が始まる。

 最初に挨拶に立った吉本津幡町テニス協会会長は,やや緊張した面持ちで次のように語った「本日はようこそ津幡町テニス協会の40周年記念式典にお集まりいただきました。協会創立のとき,私は協会にはいませんでしたが,中学校の2面のコートで,生徒さんたちが使っていない早朝練習から始まったと聞いております。ほどなく,4面のコートが完成し,ナイター照明がつき,協会の活動が活発化していきました。そして,運動公園に10面のコートができるとたくさんの大会や催し物ができるようになりました。こうして振り返ってみますと,津幡町のみなさんに支えられながらここまで成長してきたんだなあという思いを深くします。私が女性協会長という大役を何とか続けてこられたのは,まわりで支えてくれる協会員のみなさんのおかげです。津幡町に私の敬愛する作家に水野スウさんという方がいらっしゃいます。水野さんが娘さんとかかれた『ほめ言葉のシャワー』という本があります。その中に,日本人は謙遜の文化ともいうべきものの中で育ってきて,ほめられることになれていないし,ほめることも下手だ,ということがかいてありました。私もジュニア強震津担当して,ほめるのは難しいなとつくづく感じております。でも,その代わりに,ありがとうという言葉ならいえると思いました。今日はここにお集まりの来賓のみなさん,遠くからお越しのみなさん,津幡町のみなさん,協会員のみなさん全員にありがとういう感謝の言葉を述べて,開会の挨拶とさせていただきます」。会長としてこういうビッグイベントに臨むのは初めてのこと。「緊張のあまり,言わなければならなかったことが言えなかった」とのことでした。

 ついで,来賓挨拶をお願いした矢田富郎津幡町長は「みなさん,私とテニスは無縁だと思っておられることでしょう。でも中学生のときはテニス部,あのころは軟式庭球部だったかな,テニス部で過ごしました」と述べられた。これにはお集まりいただいた津幡町民の肩もちょっとビックリです。さらに「津幡町は県民体育大会一般女子の部で5位に入賞しました。その原動力がテニス競技の一般女子の優勝でした。金沢市や白山市を押さえて優勝したことは実に見事でした」とその栄誉を讃えた。

 また,津幡町体育協会会長の塩谷優さんは「津幡町体育協会は39の競技団体と35のジュニア教室がありますテニス協会は昭和54年に加盟していただき,その2年後に総合体育館とともにテニスコート4面が完成,昭和63年には津幡町運動公園に10面のコートが完成しております。その間,生涯スポーツはもちろんのこと,ジュニアテニスの育成にも力を注ぎ,斉藤貴史プロを生み出し,現在も活躍を続けておられます。また昨年,一昨年と県民体育大会一般女子の部で2年連続優勝するなど,数々の素晴らしい成果を挙げてこられました。これからのますますの発展の祈念します」と述べられた。これには津幡町テニス協会員も,身を引き締める思いであった。
 40周年を記念して津幡町テニス協会はスコアボードを町に寄贈した。これはすでに午前中の斉藤プロのエキジビションマッチのときに際に試用された。

サプライズだった功労者への感謝状

 式典の最後に,創立から32年にわたって協会長を務め現在でも顧問として協会の指導を担っている前田猛夫氏,理事長として会長を補佐し様々な行事を企画・実行してきた前会長の阿蘇和寿氏への感謝状の贈呈が行われた。