4月1日になりました。
エイプリ・フール? そうわけじゃありません。
今日は津幡町テニス協会の総会です。協会長以下,4名の役員を含め,26名の協会員が津幡町運動公園体育館に集まりました。総会のあとに行われる協会長杯テニス大会も含めて恒例の行事となっています。
しかし,今年は少しだけいつもとは違います。
そう,津幡町テニス協会創立40周年の幕開けの日でもあるからです。これまで,創立10周年には文集『お元気ですか』を発刊し,20周年には田村伸也氏を迎えて倶利伽羅塾でのパーティが行われました。この行事は津幡町テニス協会としては初の試みだったので,緊張のなかでの手探り状態でした。その経験を生かした創立30周年では,日本人で初めてウインブルドン選手権を制覇した吉田和子(旧姓沢松)和子さんと,ともに日本のテニス界を牽引する吉田テニス研修センターの吉田宗広さんに加え,日本を代表するテニスプレイヤーの福井烈選手を迎えての盛大なパーティを成功させました。このパーティは石川県に津幡町ありと,内外に知らしめたものとなりました。
あれから10年が経過しました。創立40周年パーティを開催するには,あのときのプレッシャーもあります。今年は地味に,という意見もありました。しかし,津幡町テニス協会理事会はやはり10年の節目を大事にしようという決断をしたのです。今回の総会は,協会員にその承認をとるという意味があったのです。
この判断が妥当だったのかどうか,それが成功するのかどうかは,これから1年間の津幡町テニス協会の活動をご覧いただくしかありません。このホームページでは,リアルタイムに1年間の活動をお伝えする予定となっています。ぜひ,足繁くこのページを訪れてください。
津幡町テニス協会長杯
総会の後はみんなでお弁当を食べてから年度初め恒例のお楽しみ大会の協会長杯です(といっても杯はありません)。
協会長杯はこの協会長の創立者である前田猛夫氏が石川県スポーツ功労者表彰を受けた記念大会に始まります。
テニス大会には国体,県体をはじめインター杯,市町村テニス対抗戦,そうそう,有名なデビスカップなど多くの団体戦があります。でもそれは,実は大多数のテニス愛好者のものではなく,選ばれた選手たちのための大会でした。私たちはそこに出場したくてもその機会を与えられていません。でも,一つの町の中で団体戦をすれば,そして協会員の誰でもが出場できるようにすれば,チームの一員としてプレーする喜びや緊張感を味わえるのではないか。そういう思いからこの大会が始まったのです。
津幡町のテニス大会にジュニアが加わるようになったのは,どれくらい前のことでしょうか。当然のごとく,大人の楽しみとジュニアの楽しみとは違います。津幡町テニス協会が,ジュニアにそのすべての大会の門を開こうと決めたとき,「これまでにあった男女の垣根,様々な差別などが時代遅れのものとして消え去っていこうとしています。私たちは,いずれ,大人もジュニアも同じコートに立ってテニスというゲームをすることが自然である時代が来るでしょう。津幡町テニス協会は,いま,その扉を開こうとしているのです」という,現協会長である吉本律子さんの言葉によって,大きな1歩を踏み出しました。
もちろん,ジュニアが大人たちの試合参加することを歓迎しない声も少なくはありませんでした。球は速いけれど打てばホームランとダブルフォールトの山,失敗しときのあまり好ましくない態度。そういうことを目にすることが愉快なはずがありません。「だから私たちが彼らを育てていくのだ」という意識が私たちの中にあったのかどうか。それはわかりません。
はっきり言えるのは,津幡町テニス協会はその道を選び,その道から外れることなく歩いてきたということだけです。
あまり知られていないことだけれど,このことは津幡町テニス協会の大きな特色と言っていいのではないかと思います。
先の言葉はまだ一般のテニス協会では現実になっていないけれども,私たちはそれを実現してきたということだけは,我が協会の誇りとして、協会員一人一人の胸に刻んでおいてほしいと思います。閉会式の写真です。年齢の壁も男女の壁も感じられないでしょう?
玄田紗也果選手の旅立ち
この写真の中に一際大きな存在感を放っている選手がいますね。幼い頃から津幡町テニス協会が手塩にかけて育ててきた玄田紗也果選手です。彼女は大学を卒業し,明日,長野市で行われる入社式に参加するために旅立とうとしています。その前日,引っ越しの準備に忙しい合間を縫って協会長杯に出席してくれたのでした。
せっかくの機会なので,玄田紗也果選手の経歴を紹介しながら話を聞かせてもらいましょう:
小学校2年生の頃からテニスを始めた。津幡町テニス協会がジュニアテニスを始めてから5年ほど経った頃である。
妹の玄田可楠,斉藤裕史/貴史兄弟も側にいた。コーチングスタッフには会長の前田猛夫,そして彼らの母でありコーチである斉藤美穂,玄田久美子らもいた。玄田紗也果が育っていくにしたがって,津幡ジュニア教室のレベルも上がり,北陸三県から注目を集めるようになっていった。石川県内から北信越大会への出場者6名のうち,5名が津幡町の選手が占めるということさえあった。
「テニスはずっと好きでした。でも小学校6年生のとき腰骨分離骨折で1年間テニスができなくて、中学校に入ったら,友達みんなが遊んでいるのに何で私だけがテニスばっかりなんだろう。毎日怒られてばかりだし」という苦悩も経験する。
誰もが通る道であろうけれども,それを克服していかないとその上に進むことができない。
「中学校のときに北信越大会で優勝して。それで,自分でテニスを続けようと決心した」という。高校は福井県の仁愛高校に進み,キャプテンも務める。
「寮生活をしているので,毎日がテニス漬けでした。もう監獄みたい(笑)。キャプテンになってからは,練習メニューを考えたり,まわりの選手たちの気持ちに配慮したりしなければならないし。自分のプレーに支障が出ることもあったかな。でも,自分で決めた道だから,やめようと思ったことは一度もなかった」。
高校総体では個人戦ダブルスと団体で優勝,高校選抜でも優勝に輝いた。そして福井県の選手として出場した国体で優勝したときにはこれまでにないような大きな声援を浴びた。翌日は新聞の一面に玄田紗也果選手の活躍が載った。
そのテニスの実力をひっさげて同志社大学に進む。
「大学ではインカレで2回戦,関西大会で3位くらいの成績しか残せませんでしたが、テニスを続けていて本当に良かったと思います。主将も自分でやりたいという気持ちがあって自分から監督に頼みに行ったんです。主将をするのは大変だったけど,主将を経験したことはずいぶん自分のためになりました。大切なのは,いろいろな人の気持ちを理解しようとしなければならないことかな。そうしていくことで,それぞれの人の得意なこと,苦手なこと,優しいところなどがわかるようになっていったと思います。」
しかし,大学の勉強は大変だったという。
「スポーツ推薦で入った人たちは,みんな勉強には苦戦していましたね。冗談抜きで問題文の漢字が読めなかったり(笑)。でも部活や学部の友達のサポートがあったから,何とか卒業できました。苦しいこともあったけど,いま振り返ると学生時代は本当に楽しかった。」
──最後に,テニス協会のみなさんからのメッセージです。ホームページだから追加もできます。紗也果ちゃんに贈りたい言葉があったら,ぜひお寄せください。
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M.S. 最初はおとなしい感じがしましたね。でも,本当に好きなテニスをやっていくうちに,自分の中からいいものを引き出してきた感じがします。いまは頼もしい,立派な大人に成長しましたね。
K.Y. 津幡のこと,忘れないでね。仲間のこと,コーチのこと,それにおじさんやおばさんたちのことも。火曜日の婦人テニスの練習に2回きてくれたのを覚えていますか。それがとても嬉しかった。優しい紗也果ちゃんのこと,これからもずっと応援していますよ。
A.K. 大学を出て,友だちがそれぞれの職場へ,それぞれの地方に別れていくときですね。とくに,ふるさとを離れると,友だちが一生の宝物になります。年賀状を出すだけでもいいから,友だちをずっと大切にし続けてください。
M.T. 何よりも気持ちが明るい,スポーツマンらしい選手です。ジュニアの指導をさせても安心して任せられますし,石川県テニス協会としては本当に惜しい人材を県外に流出させてしまうわけで,そういう意味ではとても残念です。石川県にも,テニスをしながら働ける環境をぜひ作って欲しいと思います。
S.M. 紗也果? 一言でいうとアホです(笑)。津幡町ジュニアには3つの約束事があります。声を出すこと,足を動かし続けること,最後まで決して諦めないこと。北信越ジュニアの大会で紗也果が途中でやる気をなくしたようなプレーをしたことがありました。たぶん怒られるのが怖かったのでしょうね。「約束は守れたの?」「はい」「じゃ仕方ないわね」といって放っておいたのです。しかし,紗也果はベンチを動こうとしません。しばらくして,ついに黙っていられなくなった紗也果がいいました「コーチ,私を殴ってください」。純粋で嘘がつけないんですね。この話は紗也果伝説として語り継がれていくと思いますよ。
T.M. 玄田紗也果を表現しようとすると、パッと見は“利発”という印象も感じられるが、“明朗”といったほうがピンとくる。そこに集まっている人たちをどんな状況にあっても光を与え和ませてくれる才女ですね。 どこにいても目立つ存在ですね、ある時、大阪の公園を通りかかると何かのオーラを感じて凝視すると、そこには玄田紗也果のプレーしている姿がありました。次の年の同じ場所では“紗也果です!”と老いたおじさんに声をかけてくれた。この2回の偶然の出会いは,紗也果が人を引き寄せる“何か”を持っていると感じられる出来事ですね。 試合では、先輩を叱咤激励するほどの怖さも感じるプレーヤーですが、コートから離れるとやさしいお嬢様?を発揮し、一人寂しくいる紗也果を見たことがない、いつも誰かと談笑している明るい紗也果しか知らないですね。 多分、このお嬢様はこれからも変わらず素晴らしい女性を演出していくんだろうな! ちなみに、紗也果をよく知る人は、彼女の事を“天然!”と褒めちぎっていました。