津幡町テニス協会

2018/06/11掲載

Porche Karuizawa Futures(2018/06/10)

斉藤貴史,優勝おめでとう!

 2018年6月10日。この日はプロテニスプレーヤー斉藤貴史にとって忘れられない日となるはずである。このページをご覧になっている方は,すでに,この日に行われたポルシェ軽井沢フューチャーズを斉藤貴史選手が制したことはご存じだろうと思う。この原稿はセットカウント2-0(63,64)という結果を伝えることではなく,それを応援してきた者として,その日の出来事を報告するものである。

 雨である。軽井沢に向かう高速道路のトンネルのなかには「出口アメ注意」の文字が光る。軽井沢の町に入ると霧のような細かい雨。道路にはすでに大きな水溜まりができている。どうやら,午後から雨という天気予報は外れたようだ。
 ポルシェ軽井沢フューチャーズが行われる軽井沢会テニスコートは旧軽井沢の一番奥の深い森の中にあった。雨で中止になったら,あのジョンレノンが愛した万平ホテルでお茶でも飲もうかというようなことを考える。軽井沢会テニスコートは美しいクレーコートである。美しいクレーコートというのは想像できないかもしれない。しかし,そこに立ってみれば,ここを管理する人たちがいかにこのコートを慈しんで守ってきたかを感じるはずである。そのコートには水はまったく浮いていない。これくらいの細かい雨なら試合はできるのではないか,と思ったとき,会場を室内コートに変更するという通知が届いた。普通のゲームならば十分にできるが,ラインが滑る状態ではプロの試合を行うことはできないのだという。
 斉藤貴史選手が僕たちのところにやってきた。「まったく違う環境での試合になるので,サーフェスな速さやバウンドの高さなどを探り合いながらのゲームなるでしょうね」。斉藤選手は気負いもなく,十分に落ち着いているように見えた。

 吉沢学園の室内テニスコートが慌ただしく準備され,ボールパーソンや審判団,大会役員たちが入ってくる。選手たちがボールを打ち始める。あまり明るくないコートの上でのボール見やすさ,バウンドの速さや高さを確かめているのだろうか。このコートにはもう一つの難敵がいた。天井が低いのである。ネットにいる選手の頭上を越してコートに入るロブを打つことは難しそうである。でもそれはお互い様だ。やがて試合開始の合図が告げられ,斉藤貴史選手と野口莉央選手の試合が始まった。

 ラリーのテンポが速い。テレビで観るプロたちのテンポよりずっと速く感じる。狭いコートのすぐ後ろに座っていたせいだろうか。コートの狭さゆえに両選手の立ち位置がベースラインにかなり近くなっているせいだろうか。ただただ,体育館に響く力強いボールの音に圧倒されるばかりである。

 斉藤選手のサービングで始まった第1セットは4−1で斉藤選手がリードした。このとき,初めて気づく。両選手の差は紙一重なのだと。第1セットでワンダウンしただけのことなのだから,差がわずかなのは当たり前だ,という人もいるだろう。ここで,僕が気づいたのは両選手ともエースを取る力を持っていて,つねにその機会を狙っているということだったのだ。コートに隙ができる。そのとき,サイドライン一杯に打てばエースがとれる。選手にはそれがわかる。しかし同時に,そこに打てばアウトする可能性があることもわかる。ミスかエースか。素人がいうのはおかしいのだが,たぶん60%以上の確率でエースとなると感じなければ勝負に出ることはできない。互角に打ち合いながら,非常に短い時間の中で,お互いがそれを探っている。1つのエースをものにしたとき,優劣は一気に逆転する可能性がある。4-1というのは,そういう危うい均衡の上にある。天秤はまだ傾いていないのである。観客がそれを自ら感じることができるとき,これを緊迫した素晴らしい試合というのではないか。
 第1セットは,斉藤選手が要所でネットへ出る攻勢をかけ,そのまま,4-1,4-2,5-2,5-3,6-3 で奪う。
 第2セットは野口選手のサービングで始まり,斉藤選手の3-4で迎えた第8ゲーム。40-15から斉藤選手がネットに出る。そのとき,野口選手の素晴らしいパスが斉藤選手の横をすり抜ける。40-30。そのとき,斉藤選手は,僕たちにはわからない微妙な迷いの中にいるのだろうと思った。さらに攻めていってもいいのかどうか。野口選手もここがチャンスと感じていることは間違いない。しかし斉藤選手はひるまなかった。ゲームはデュースにもつれ込みながら,最後は斉藤選手が2本のサービスエースをもぎ取る。試合はここで決まった。ここからあとは斉藤選手が圧倒したといってもよいと思う。最後は野口選手のボールがアウトして6-4でゲームセット&マッチ!斉藤貴史,優勝の瞬間である。向こう側のコートで,斉藤選手の短くて力強い叫びが聞こえた。おめでとう!

 スポンサーのポルシェからロゴ入りのウエアとバッグを受け取る。ボールパーソンたちがサインをねだりに来る。

 そして最後は優勝者のスピーチである。  「スポンサーのみなさん,大会関係者のみなさん。素晴らしい大会を開いてくれたことに感謝します。僕は3年前にこの大会で優勝することができました。そしてそれから2年間,怪我で試合をすることができない日々が続きました。(少し涙)その苦しい日々を乗り越えて,またここに立つことができてとでても嬉しいです。これも,地元のみなさんをはじめとする,支えてくれた方々のお陰です。ありがとうございました」。

 観戦に来ていた玄田紗也果さんは「怪我を乗り越えて,元の場所立つことができたというのは本当に素晴らしい。最初の優勝のときとは違ってプレッシャーも大きかったでしょうね。いよいよ再出発のときが来ました。頑張ってください」とエールを送った。

 準優勝者は優勝者の影でひとりぼっちになってしまう。これは仕方がない。勝者と敗者の常である。僕は近寄って「素晴らしい試合でしたね。今後の活躍を祈ります」とありきたりの話をした。実は,雨で会場を移動するとき,お母さんと一緒にタクシーを呼ぼうとしていた野口選手に声をかけ,一緒に吉沢学園まで車で送ってきたのは僕たちなのだ。道すがら「え,選手の方なのですか?」,「斉藤選手の応援にいらしたのですね?」のような会話があり,最後に,斉藤選手は僕たちの町のジュニア教室から育った選手なのです,という話に及んだ。「それは素晴らしいですね」といわれたとき,僕はジュニア教室にはなんの貢献もしていないのだけれど,少し胸を張りたい気持ちになった。そうなのだ「斉藤選手はいつまでも津幡町テニス協会の誇りなのだ」。そういうことに気づかされた一駒だった。

 世界に羽ばたけ,斉藤貴史!

◇参考
ITF Tennis(国際テニス連盟)
テニスマガジン